
下北沢は行く価値がある? 旅行者に聞くか、住む人に聞くかで答えが変わる
Redditに「下北沢って本当にそんなにひどくなったの? それとも大げさに言われているだけ?」というスレッドが立ったとき、コメントは81件つきました。失われた黄金時代を惜しむ人と、いいかげん受け入れたらと返す人で、ほぼ半々に分かれていました。この街をめぐるスレッドは何十もありますが、どれも同じように割れています。片方は、古着屋とライブハウスがひしめき、海外の紹介記事では今も「東京のブルックリン」と呼ばれる街です。もう片方は、建て替えられた駅前と増え続けるチェーン店、そして10年来続く「昔とは違う」という声です。
この論争の両側から声を集めました。Redditに書き込む海外の旅行者と、Xやじゃらんの口コミに投稿する日本人の住民や旅行者です。どちらの声も「行く価値はあったか」という同じ問いで読み分けたところ、二つのグループの答えはまるで違っていました。興味深いのは、その食い違いの向きです。
行く価値はある?(訪れた人自身の言葉で)
私たちが読んだ声のうち、3分の1ほどはがっかりして帰った人のものでした。がっかりの中身には共通点があります。何か一つ嫌なことがあったというより、旅行ブログで紹介されていた雑然としたアングラな街と、実際に見た街が違っていたという感覚です。2017年に旅行で訪れ、数年後に在住者として戻ってきた人は、こう書いています。"もう抜け殻のようだった。8割は割高な古着屋で、残りはやたら無機質でつまらない巨大な新規開発ばかりだ"。もっと短く言い切った人もいます。"下北沢に1時間も行けば、騒がれているほどじゃないとわかる"。
とはいえ、緑と中間のバーを合わせると声のおよそ3分の2になり、最近訪れた人の多くは「下北沢は廃れた」という見方にはっきり反論しています。ある人は"少しでも開発が入ると、みんなすぐ大げさに騒いで「高級化だ」と言いたがる"と書き、こう続けています。"今でも個人経営の店が多く、十分に魅力的な街だ"。9月に5泊した人の感想はこうです。"とても楽しめた。買い物や古着にはまったく興味がなかったけど、朝でも夜でも歩き回るのにぴったりで、東京の喧騒から逃れられるいい避難所だった"。
変化とともに暮らす人たちの声
ここからは、同じ再開発について日本人の住民や旅行者が自分の言葉で書いた声を紹介します。
こちらでは、否定的な声の割合が海外の旅行者より小さくなっています。「下北沢らしさがなくなった」と言われがちな街なので、普通なら逆の結果を予想するところです。ある人はこう書いています。"下北近隣の人間としてはこの再開発はかなり成功だと思っている。高層ビル群が立ち並ぶ渋谷みたいな開発はされてないし、もともとあったローカル個人店が新たな施設に出店。子連れも歩きやすく包摂的な街になった。" 不満を言っているのは誰なのか、もっとはっきり書いた人もいます。"汚ウマい店とか入りづらい雑居ビルとかを過大評価するのは9割方よそ者。"
少数とはいえ、否定的な声も軽く扱えるものではありません。長く通っていた人の一人は"下北沢にしかない空気がない"と書き、"郊外のショッピングモールみたいな空気。"と続けています。子どもの頃にこの街で育った人は、10年ぶりくらいに駅で降りたとき、茶沢通りに出るまで自分がどちらを向いているのかもわからなかったと振り返っています。それでも、すぐにこう続けました。"とはいえ南口の商店街も北口の商店街もそんなに変わらないし、スズナリもあるし、あの踏切は地元民には長年の鬼門だったから仕方ないと思う。" 昔の雑多な街を覚えている人ほど、なくなったものを惜しみつつ、駅から数分歩けばその多くが今も残っていることをすぐに付け加えます。
行く前に知っておきたいこと
旅行者が「再開発」と呼んでいるものには、新しい駅の見た目からは想像できないほど長く、入り組んだ歴史があります。 東京都がこの区間の小田急線を高架化・複々線化する都市計画を決めたのは、1964年のことです。1970年には計画の見直しを求める約35,000筆の署名が集まり、対立はやがて1990年代の裁判にまで発展しました。2003年、最初の計画からおよそ40年がたって、東京都は高架化をやめ、線路を地下に通すことを決めました。地下化が実現したのは2013年3月13日です。東北沢と世田谷代田の間にあった9か所の踏切が、地上の線路と一緒になくなりました。
鉄道の計画と並行して、住民が鉄道と同じくらい心配した道路計画も二つありました。 一つは駅の北側を東西に貫く道路、もう一つは駅前に交通広場とそこにつながる道路をつくる計画です。反対の先頭に立ったのは、地元の矯正歯科医で、ロックバーも営む下平憲治さんでした。下平さんたちは住民団体「Save the 下北沢」をつくって反対を続けました。当時の考えを、下平さんはこう話しています。"新たな道路は街を物理的に分断します。下北沢は歩き回れることが魅力の街なのに、それができなくなってしまう。それに、道路ができると次に起こるのは土地の集約化、高層化です。そんな通り一遍な街にはしたくありませんでした" 最終的にできあがった計画は、小田急、世田谷区、住民の間で200回以上の対話を重ねた末のものです。下平さんは後に、その過程をこう振り返っています。"私たちは『反対のための反対』をしていたのではなく、シモキタらしさをなくす開発を受け入れられなかった。街をよくしたいという思いでした。小田急や区も思いを汲んでくれ、ガッチリと手を組んで新たな街づくりに臨むことができました"
これは、ひなびた町で起きた話ではありません。 下北沢駅の1日平均乗降人員は118,852人で、小田急電鉄の70駅の中で8番目に多い駅です。これだけ人気のある街なら、週末に混むのはある程度当たり前のことです。
線路跡地の開発に、小田急は「支援型開発(サーバント・デベロップメント)」という名前をつけました。街を管理するより支えることを優先する、という意味を込めた小田急独自の言葉です。 個人経営の飲食店や書店、小さな店が集まる「BONUS TRACK」は、2020年4月に開業しました。2021年6月には「reload」が開業しています。24棟の小さな建物に店が一つずつ入る造りで、一つの建物の中を歩くのではなく、建物と建物の間を歩いて店をめぐるようになっています。全長1.7キロメートルの線路跡地には、温泉旅館や保育園、学生寮なども含めて、合計13の施設が開業しました。
お気に入りの店が消えていく背景には、思い出の問題だけでなく、家賃の上昇があります。 駅近くの公示地価は、地下化が完成した2013年には1平方メートルあたり183万円でしたが、2026年には348万円と、ほぼ2倍になりました。地価が上がれば、利幅の小さい小さな店ほど賃貸契約を更新しにくくなります。一方で、同じ通りでは新しい個人経営の店が次々に開業しています。古くからの店が閉まる話と、新しい作り手が入ってくる話が、どちらも事実なのはそのためです。
下北沢を気持ちよく楽しむための心得
満足して帰った旅行者とそうでなかった旅行者は、同じ街の別々の場所のことを話していた場合が少なくありません。
不満を言う人も擁護する人も、新しい建物がどこにあるかについては意見が一致しています。駅のすぐそばの、線路跡地と東口前の広場に集中しています。そこから南や西へ数分歩くと、この街の評判をつくった細い商店街や小さな劇場が、ほぼ昔のまま残っています。BONUS TRACKとreloadにも、ぜひ実際に足を運んでみてください。どちらも小さな区画に個人の店が入れるようにつくられていて、書店や発酵食品の店など、ふつうの駅前開発には入る余地のない店が並んでいます。
古着屋の値段に気後れしたら、ライブハウスに目を向けてみてください。今もこの街を好きな旅行者が、繰り返し名前を挙げる場所です。ある地元の人は、こうまとめています。"街並みはコンビニより古着屋が増え増減あれどライブハウスも劇場もあるし、駅以外変わらない。" 大通りから一本入った小さなクラブや飲み屋では、1980年代にこの街の評判を築いたようなライブやイベントの多くが、今も続いています。
紹介記事で読んだような下北沢に出会いやすいのは、週末より平日です。「すっかり普通の観光地になった」という不満の多くは、混雑した土曜日に訪れた人のものです。コロナ禍のあとに訪日客が戻ってきたことで、週末はさらに混むようになりました。
では、行く価値はあるのでしょうか。答えは、上の二つの温度計に表れています。海外の旅行者の3分の1は評判と実際の差にがっかりしていますが、日々その変化と付き合っている人たちの多くは、再開発を成功だと考えています。どちらに共感するかは、10年前のブログ記事に書かれた街を探しに行くのか、目の前にある今の街を見て決めるのかで変わってきそうです。
駅前だけで判断せず、改めて歩いてみたい東京の有名な街を探しているなら、まずは日本で本当に大切なことから。
出典
- 東洋経済オンライン「小田急下北沢駅、地下化後も不変?『サブカル感』 きれいになった駅にも残る『シモキタらしさ』」(2025年5月15日): 小田急下北沢駅の2023年度の1日平均乗降人員は118,852人で、小田急の全70駅中8位。この地に小田急線(1927年)と京王井の頭線(1933年)が開業した経緯。
- AERA dot.(朝日新聞出版)「下北沢を『通り一遍な街にはしたくない』 小田急と住民の対話200回以上『下北線路街』誕生秘話」(2023年11月12日): 1964年に東京都が決めた高架化・複々線化の都市計画、1970年の見直しを求める署名(約35,000筆)とその後の1990年代の裁判、2003年の地下化への計画変更、下平憲治さんが率いた住民団体「Save the 下北沢」による道路計画への反対、その後に続いた小田急・世田谷区・住民の200回以上の対話。当初の反対運動とその後の協働の両方について、下平さんの発言を引用。
- LIFULL HOME'S PRESS「“憧れの街”はどう変わった? 小田急線地下化で激変した『下北沢』が問いかける、カルチャーと再開発の共存」(2026年6月14日): 2013年3月の地下化完了と東北沢〜世田谷代田間の踏切9か所の廃止、下北線路街の「支援型開発」というコンセプト、BONUS TRACK(2020年4月開業)とreload(2021年6月開業・24棟)、全長1.7kmの線路跡地に計13施設が開業したこと、駅近くの公示地価が1平方メートルあたり183万円(2013年)から348万円(2026年)に上昇したこと。
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ありがとうございます。ひとつひとつ、人が読みます。
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